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【タレント分析】妻夫木聡のキャリアと成功の秘訣、SNS戦略を深掘り!【俳優・女優になりたい】

【タレント分析】妻夫木聡のキャリアと成功の秘訣、SNS戦略を深掘り!【俳優・女優になりたい】

自ら役の幅を広げた実力派俳優 妻夫木聡さんの魅力とは?

  • 妻夫木聡さんのデビューのきっかけは?
  • 妻夫木聡さんがブレイクした作品は?
  • 妻夫木聡さんの所属事務所はどこ?SNS戦略はどうしてる?

芸能界は魅力的で多くの人が憧れる世界ですが、その裏側やタレントのプロフィール、キャリアパス、ストーリーなどは意外と知られていないものです。

そこで、この記事では妻夫木聡さんの

  1. プロフィール詳細
  2. キャリアの歩み
  3. 現在の所属事務所とその特色
  4. SNS戦略
  5. 私生活やリフレッシュ方法

などを幅広く解説しています。

この情報をもとに行動することで、あなたも自分自身の目標やキャリアに役立てることができるでしょう。

読み終わった後で、次のステップが明確に見えてくるかもしれません。

ぜひ最後までお読みいただき、参考にしてください。

妻夫木聡さんのプロフィール

デビュー前から有名人だった

  • 名前:妻夫木聡
  • 出身地:福岡県
  • 生年月日:1980年12月13日
  • 職業:俳優
  • 事務所:ホリプロ
  • 趣味・特技:音楽、映画鑑賞
  • 主な出演作:映画「ウォーターボーイズ」「悪人」「東京家族」「怒り」「ある人い」、ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」「ブラックジャックによろしく」「オレンジデイズ」「Get Ready!」、NHK大河ドラマ「天地人」

デビュー前から神奈川で有名人だった

俳優としてデビューする前の高校時代から“おしゃれでかっこいいスーパー高校生”として活躍していた妻夫木聡さん。

現在は廃刊になっていますが、首都圏の高校生向けファッション誌「東京ストリートニュース」の読者モデルをしていました。

神奈川の県立高校に通っていた妻夫木さんは、神奈川県では有名人だったそう。

当時の雑誌を見ても読者モデルの中でも特集を組まれるなど、目立つ存在。

同世代の若者からは「かっこいい!」と人気で、妻夫木聡さん見たさに雑誌を購入する人も多かったそうです。

ミュージシャンの兄と仲良し

妻夫木聡さんは1999年に、兄でミュージシャンの妻夫木晋也さんとバンドを組み、ボーカルとベースを担当。

2000年にはシングルCDをリリースしました。

また2021年と2022年には兄の晋也さんとのキャンプでの様子がInstagramにアップされ、「兄貴、いつもありがとう」とのコメントも。

2016年に妻夫木聡さんは結婚しましたが、結婚後も一緒にキャンプに行くほど、仲の良さが伺えます。

「妻夫木」は本名

妻夫木聡さんの苗字「妻夫木」は本名だそうです。

小学校を転校した際にはいつも先回りして自ら名乗っていたとのことで、誰でも読める苗字に憧れていたとのこと。

ホリプロ所属の際、芸名にするかどうかの話し合いでは、会長の「妻夫木には勝てない」という理由で本名に。

俳優として活動してからは、珍しくて覚えてもらいやすいため「妻夫木」で良かったと思えるようになったと明かしています。

ただ、体調が悪くて病院に行ったときでも「妻夫木さん」と呼ばれてしまい、周りにいる人に見られてしまうのだそう。

そのときばかりは芸名にすればよかったと思うと明かしています。

妻夫木聡さんのデビューまでのステップ

ゲーム機のオーディションから俳優に

  • 芸能界に興味を持ったきっかけ:ゲームセンターでゲーム機のオーディション
  • 最初のオーディションまたはスカウト:ホリプロ、アミューズ、ニッポン放送主催「スタアオーディション」
  • 練習生または養成所の期間:不明
  • 初の仕事(CM, ドラマ, 映画など):ドラマ「すばらしい日々」
  • デビュー作(シングル, アルバム, 映画など):ドラマ「すばらしい日々」

きっかけはゲーム機のオーディション

妻夫木聡さんは、アミューズ、ホリプロ、ニッポン放送がナムコとタイアップしたオーディションゲーム機「スタアオーディション」で第1回グランプリを獲得。

その後ホリプロに所属となりました。

同オーディションはゲームセンターに設置されたゲーム機でオーディションを受けるというもの。

約300万人が参加し、妻夫木聡さんはその頂点に立ちました。

当時高校生だったこともあり、遊びでゲームをやって応募したところ、とんとん拍子でグランプリを受賞したことに「本当にここまでくるとは思わなかった」と語っています。

何もできない自分に挫折

オーディション合格時には「歌もドラマもやってみたい」と意気込んでいた妻夫木聡さんですが、実際に仕事をするようになると、何もできない自分に挫折したと明かしています。

それまで何事もそつなくこなしてきたし誰にでもできると、芸能界への憧れだけで軽く考えていたそう。

いざ俳優の仕事を始めると、何もできない自分に悔しくて恥ずかしくて最悪だった、自分の無力さを感じたと語っています。

それからは負けず嫌いの性格を発揮して、台本を100回以上読むなどがむしゃらだったそうです。

妻夫木聡さんが注目を集めたきっかけは?

ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」で認知度アップ

妻夫木聡さんの名前を多くの人が知るようになった作品は、2000年のドラマ「池袋ウエストゲートパーク」でしょう。

池袋を仕切る暴力団の構成員役で出演しました。

妻夫木聡さんのイメージとはだいぶ違う役柄なので、「妻夫木くん、出てた?」という印象の人もいるようですが、役柄を聞いてあの子がそうだったんだと納得。

当時19歳でキャリアも浅かった妻夫木聡さんですが、注目度の高いドラマだっただけに視聴者も多く、このドラマで認知度がアップしたと言えるでしょう。

映画「ウォーターボーイズ」で初主演

2001年には映画「ウォーターボーイズ」で初の主演を演じました。

男子高校生たちがシンクロナイズドスイミングに挑戦する青春物語。

撮影の1ヵ月以上前からシンクロの練習を始める都合上、スケジュールが空いている若手俳優がキャスティングされたそう。

今や売れっ子の玉木宏さんも出演していました。

真夏に行われた撮影前の1ヵ月間ほどの合宿では寝食をともに過ごし、シンクロ、水泳、立ち泳ぎなどの特訓、ダンス練習、夜は皆で寝るという生活だったそうです。

練習の甲斐あって、シンクロの演技はスタントやCGなし。

努力の賜物だそうです。

公開前はそれほど注目度は高くなかったものの、公開後の口コミやキャンペーンで注目され、大ヒット映画になりました。

はじめは少数だった上映劇場は、全国各地でのキャンペーンなどの効果もあり増加。

上映期間も6ヵ月を超えるロングランとなり、邦画復活のきっかけになったと言われています。

矢口史靖監督は後に、妻夫木聡さんをはじめ若手俳優陣の、内なる想いをぶつけたいという溜まりに溜まったエネルギーがスクリーンに映り、お客さんに伝わったのだろうと分析しています。

妻夫木聡さんはこの映画で日本アカデミー賞 優秀主演男優賞と新人俳優賞を受賞。

この大ヒット映画への出演で演技も評価されたことが、ブレイクのきっかけと言えるでしょう。

話題作に主演で出演

ウォーターボーイズで知名度を上げた妻夫木聡さんは、その後も順調に主演作品を増やします。2003年にはドラマ「ブラックジャックによろしく」、映画「ジョゼと虎と魚たち」、2004年は「オレンジデイズ」と、話題作に出演。

“さわやか好青年”のイメージと実力派俳優と言われるほどの演技力で注目されました。

2009年にはNHK大河ドラマ「天地人」で主人公の直江兼続の青年時代から60歳で亡くなるまでの生涯を演じ、役の幅の広さが話題に。

知名度は全国区へと広がりました。

イメージを打ち破った映画「悪人」

妻夫木聡さんは度々インタビューで、転機は30歳になる2010年の映画「悪人」と答えています。

殺人を起こした犯人役を演じた妻夫木聡さんは、原作から惚れ込んで自分からこの役をやりたいと懇願。

妻夫木聡さんの好青年というイメージとは真逆の役ということで、役作りには特に力を入れていたと明かしています。

自分の中の陰陽の「陰」を引き出すために、自ら役に歩み寄っていったとのこと。

自分を捨てて否定し続ける役作りは、葛藤しながらしんどい想いをしたと語ります。

共演した深津絵里さんも、胸を打たれるほど集中の仕方が凄かったと語るほど。

実際に映画を見た人たちからは、原作を読んで妻夫木聡さんのイメージとは違うと思っていたけれど映画を見たらそんな想いは覆され、良い意味で妻夫木聡さんらしさは一切なく、すごい役者だと思ったと高評価です。

映画「悪人」は妻夫木聡さんにとっても、視聴者にとっても転機となったと言えるでしょう。

現在の所属事務所を解説

第一線で活躍するタレントが多数

  • 事務所名:ホリプロ
  • 設立年:昭和38年1月16日
  • 代表者:菅井 敦
  • 主な所属タレント:綾瀬はるか、深田恭子、石原さとみ、高畑充希、鈴木亮平、竹内涼真、松山ケンイチ、藤原竜也、妻夫木聡

タレントの発掘、育成に強い事務所

ホリプロの企業理念は「文化をプロモートする人間産業」。

マネージメント事業を中心に、ドラマ、映画、CMを制作プロデュースする映像事業、演劇やミュージカルをプロデュースする公演事業、スポーツ文化事業や音楽事業など、さまざまな事業を展開する総合エンターテインメント企業です。

「ホリプロスカウトキャラバン」から発掘されたタレントが活躍しているように、タレントの発掘と育成に強みを持つ事務所。

原石を見つけ出し、磨いて輝かせて世に送り出す(プロデュース)ということを目標にしています。

深田恭子さん、石原さとみさん、綾瀬はるかさんなどはまさに原石からトップ俳優に育てあげたタレントと言えるでしょう。

社長のひとことからやる気に

高校生のときに読者モデルとして有名になり、その後ゲーム機のオーディションに合格し役者の道に進んだ妻夫木聡さんですが、事務所に所属してドラマ、映画に出演しつつも、そこまでやる気はなかったようです。

ですが、初出演映画「なぞの転校生」を観た社長から、「初めてだから仕方ないよ」と言われたことが悔しかったそう。

それからやる気が出て、できることは何でもしようと思うようになったと明かしています。

社長にそこまでの意図があったかどうかは定かではありませんが、結果、そこからの妻夫木聡さんの活躍は言うまでもありません。

妻夫木聡さんの芸能活動を分析!

SNS戦略とファン接点作り

  • 主なSNSプラットフォーム:Instagram
  • フォロワー数:53.3万人(Instagram)
  • 頻度:不定期

Instagramを2020年10月から開始

妻夫木聡さんは2020年10月10日からInstagramを開始。

翌日から主演ドラマがはじまる日でしたので、宣伝と今後の戦略を考えての開設だったのでしょう。

ファンクラブはなく、他のSNSもやっていませんでしたので、ファンにとっては待望のInstagram開設。

更新頻度は不定期で、作品やイベントがあるときは頻繁に更新されていますが、1,2ヵ月あくことも。

そこまで力を入れているわけではないようですが、投稿されている写真の妻夫木聡さんはいつも笑顔で楽しそうなので、毎回楽しみにしているファンも多いのではないでしょうか。

メディア露出とポジショニング

  • 主な露出メディア:映画、ドラマ、CM
  • ポジショニング:自ら役の幅を広げた実力派俳優

妻夫木聡さんは多くの映画やドラマ、CMで活躍しています。

特に「悪人」や「東京家族」「怒り」「ある男」などヒューマンドラマを題材にした映画での評価が高く、数々の賞を受賞しています。

また好感度の高い俳優としてCMには20年以上途切れることなく出演。

高校生のときに読者モデルをしていたこともあり、おしゃれなイメージもあります。

デビューから10数年は「さわやかな好青年」の印象が強かった妻夫木聡さんですが、自ら出演を希望した映画「悪人」で心に闇をもつ殺人犯を演じてからは、それまでのイメージを崩し、さわやかな好青年から殺人犯やゲイまで役の幅を広げてきました。

一方でプライベートでは2016年に女優のマイコさんと結婚し、2019年、2022年とお子さんが誕生。

家事も積極的に行っているようで、家庭も大切にしていることが伺えます。

SNSはInstagramのみで更新頻度は少なめで、主に仕事に関する内容です。

よってプライベートの露出は控えめな印象。

このようなポジションニングにより「役の幅の広い俳優」というイメージを強く持たれています。

プライベートとリフレッシュ術

  • 休日の過ごし方:キャンプ
  • リフレッシュ方法:キャンプ、ボクシング

キャンプでリフレッシュ

Instagramでもたびたびお兄さんとキャンプに行った様子があがっているように、キャンプが好きで、その魅力にハマっているそうです。

お兄さんとはキャンプの聖地と呼ばれる「ふもとっぱら」キャンプ場に行き、素敵な富士山を見ることができたそう。

また川でのキャンプも気に入っているようで、川のせせらぎ音が心地よく、都会で溜まったものが浄化される感じがあってリフレッシュできると語っています。

40代でボクシングに挑戦

2022年に公開された映画「ある男」で共演した、元ボクサー役の窪田正孝さんがきっかけで、ボクシングにハマったそうです。

やるのも見るのも好きとのことで、Instagramでも一時期はボクシングに関する投稿ばかりだったことも。

40代からはじめた趣味だけど、意外にも動けることを実感したそう。

年齢にかかわらず、挑戦する気持ちを大切にしていきたいと語っています。

次なる展望は?

  • 目標:何色にでも染まれる役者に

妻夫木聡さんは今後について、個性を探すことにこだわらず、何色にでも染まれる役者になりたいと明かしています。

デビューから順調に俳優業をこなしてきたようにみえますが、自身ではさまざまな想いを抱えながら歩んできたと語ります。

20代では「さわやか好青年」のイメージが先行して同じような役まわりが多かったことに悩んでいたそう。

違う役をやりたいと思いながらも、自分のイメージ(個性)を大切にした方がいいのではないかと葛藤があったと明かしています。

30代では、初めて自分から踏み出して役をつかみます。

それまで受け身だった役への姿勢から、自ら歩み寄る姿勢へと変化。

「役を生きる」という経験をして、もっとしっかりとしなくてはと感じていたそうです。

40代では今までの想いを吹き飛ばすように、自由でいいんだと思えるようになったと語ります。

個性を持つことや攻める気持ちも大切だけど、どれもひとつに決める必要はないのではと考えられるようになったそう。

個性がないのも「個性」、何色にでも染まれる役者になりたい、その方が人生も楽しいのではないかと思うと明かしています。

参考にしたい!成功レシピと具体的なステップ

個性を気にせず自由に演じる

  • 身につけるべきスキル:「個性」にこだわらない
  • 重要な人脈の作り方:自分からアプローチする
  • メディア戦略:Instagramではいつも笑顔
  • プライベートと仕事のバランスの取り方:家族を大切にする

「個性」にこだわらない

20代30代では「個性」にこだわっていたと語る妻夫木聡さん。

限定されたイメージに悩んだり、自分からそれまでとは違う役を志望したりと、自分の理想とする「個性」を求めてもがいていたそう。

40代では理想とは違う自分も認めることで、自由に生きられるようになったと語っています。

個性を気にせず、その場所の色に染まるのも楽しいのではないかと思うようになったそうです。

自分からアプローチしたことが転機に

2010年に公開された映画「悪人」では、初めて自分から役を志願。

役作りに関してもそれまでのやり方から変えて「役を生きる」ということを経験したそうです。

撮影期間中は、作品をヒットさせなければいけないとか主演だからと考えることをやめ、自分を捨てて否定して役の人生を生きたと明かしています。

この作品の監督は役者に「役を生きる」ことを求める李相日監督。

その後、妻夫木聡さんと李監督は2016年の映画「怒り」でもタッグを組みます。

この作品では、やってみたかったというゲイの役で出演。

撮影前から新宿2丁目に通ったり体を鍛えたり、撮影が始まってからは相手役の綾野剛さんと実際に一緒に住むなど、こちらも役の人生を過ごしました。

李監督が求めるものと同じ方向性を向ける役者として信頼されているからこその、再タッグの実現。

李相日監督との出会いは妻夫木聡さんの俳優人生において、役への取り組み方も、役者としての評価も転機になったと言えるでしょう。

笑顔がトレードマーク

Instagramでの妻夫木聡さんは、ほぼ笑顔です。

意識して笑顔なのかはわかりませんが、いつも自然な笑顔で、見ている方も幸せな気分になります。

ファンクラブはなく、他に積極的な発信が無いようなので、唯一近況を知ることができるInstagramでの笑顔は、ファンにとって最高の近況報告になっているのではないでしょうか。

家族を大切にする

2016年に女優のマイコさんと結婚し、結婚当初は家事はできる方がしていると明かしていました。

その後2人のお子さんに恵まれています。

先輩俳優からは「死ぬときに思い浮かべるのは家族」と言われたこともあり、家族を大切にしているそう。

子どもが小さい現在ではまだ一緒に趣味のキャンプには行けていないようですが、大きくなったら家族で行きたいと語っています。

妻夫木聡さんのご実家も家族仲が良いとのことで、家族旅行に行ったり、父親や兄と飲んだりすることが多いそうです。

家族の大切さを知っているからこそ、自分が作る家族も大切にしているのでしょう。

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