独特な雰囲気をもつ演技派俳優 オダギリジョーさんの魅力とは?
- オダギリジョーさんのデビューのきっかけは?
- オダギリジョーさんの代表作は?
- オダギリジョーさんの事務所はどんな事務所?
芸能界は魅力的で多くの人が憧れる世界ですが、その裏側やタレントのプロフィール、キャリアパス、ストーリーなどは意外と知られていないものです。
そこで、この記事ではオダギリジョーさんの
- プロフィール詳細
- キャリアの歩み
- 現在の所属事務所とその特色
- SNS戦略
- 私生活やリフレッシュ方法
などを幅広く解説しています。
この情報をもとに行動することで、あなたも自分自身の目標やキャリアに役立てることができるでしょう。
読み終わった後で、次のステップが明確に見えてくるかもしれません。
ぜひ最後までお読みいただき、参考にしてください。
オダギリジョーさんのプロフィール
映画好きの俳優&監督
- 名前:オダギリジョー
- 出身地:岡山県
- 生年月日:1976年02月16日
- 職業:俳優
- 事務所:鈍牛倶楽部
- 趣味・特技:
- 主な出演作:映画「アカルイミライ(初主演作品)」「血と骨」「イン・ザ・プール」「ゆれる」「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」「舟を編む」「月」「サタデーフィクション」、NHK大河ドラマ「新選組!」「八重の桜」、NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」、ドラマ「仮面ライダークウガ」「時効警察」「深夜食堂」「大豆田とわ子と三人の元夫」「アトムの童」、脚本・演出・出演ドラマ「オリバーな犬、 (Gosh!!) このヤロウ」(脚本、演出)」、監督映画「ある船頭の話」
岡山県出身
オダギリジョーさんは岡山県津山市の小学校、中学校、高校を卒業しています。
小学校高学年のときに津山市の小学校へ転校。
その小学校にはお笑いタレントの河本準一さんがいたとのことで、その後河本さんが転校してしまったそうです。
再会は芸能界に入ってからとのことですが、そんな縁もあり2021年には地元津山市で開催された映画祭でオダギリジョーさんと河本準一さんはトークショーを行いました。
映画を通じて津山の魅力を発信する「津山国際環境映画祭」。
オダギリジョーさん脚本、監督の映画「ある船頭の話」なども上映されました。
登壇はリモートに変更になってしまいましたが、津山での初仕事に「やっと津山に恩返しができる」と喜びを語りました。
小さい頃から映画館へ
母親が仕事のときは映画館に預けられていたというオダギリジョーさん。
たくさんの映画を見ているうちに映画を作ることに興味が出てきたとのこと。
高校卒業後は映画制作を勉強するために、カリフォルニア州立大学フレズノ校に留学しました。
映画ディレクターになりたかったはずが、英語で書かれた願書を誤読してしまっていたそうで、2年ほど気付かずに俳優養成のコースで学んでいたと明かしています。
オダギリジョーさんのデビューまでのステップ
映画制作を学びにアメリカ留学したのがきっかけ
- 芸能界に興味を持ったきっかけ:アメリカ留学時代に、舞台に出ている俳優さんが楽しそうだったのを見て
- 最初のオーディションまたはスカウト:「救急戦隊ゴーゴーファイブ」のオーディション
- 練習生または養成所の期間:1998年~2,3年間(アップスアカデミー1期生)
- 初の仕事(CM, ドラマ, 映画など):CM、ドラマなど
- デビュー作(シングル, アルバム, 映画など):ドラマ「温泉へ行こう」宿泊学生役
舞台の俳優が楽しそうなのを見て俳優への道へ
オダギリジョーさんが俳優を志すきっかけとなったのは、アメリカ留学時代に、舞台に出ている俳優が楽しそうにしているのを見たことだそうです。
もともと映画を作りたくてアメリカ留学したはずが選択コースを間違えて「俳優養成コース」を選んでしまったそう。
途中まで気付かず何かおかしいと感じていた頃、黒子のクラスを受講しているときに、舞台に出ている俳優に魅了されて「俳優をやってみよう」と思ったと明かしています。
そこでは俳優としての技術的なことよりも、演技をする人の内側を重視するということを教わったそうです。
その姿勢はオダギリジョーさんの俳優業、監督業に影響を与えています。
養成所時代に俳優としての本質を見出す
アメリカから帰国後、世界を基準にした俳優養成所「アップスアカデミー」に1期生として入所します。
アメリカ留学時代に学んだことと、養成所時代を通じて、役者としてやらなければいけないことやどう準備すれば良いかなど、役者としての本質を見出したそう。
自分が目指す方向性が見えたとのことです。
役者としての「志」はその頃からブレずに変わっていないと語っています。
オダギリジョーさんが注目を集めたきっかけは?
「仮面ライダークウガ」で一気に知名度アップ
2000年1月から放送された「仮面ライダークウガ」で主演に抜擢。
オダギリジョーさん自身は「リアルな芝居をやりたくて俳優になったから特撮はやりたくない」と発言していて、最終的にはプロデューサーに説得されて役を受けることになったそうです。
実はこの1年前に「救急戦隊ゴーゴーファイブ」のオーディションも受けていたそう。
変身ポーズを求められて「変身とかしたくない」と答えて揉めてしまい、退場させられたというエピソードも。
そんなオダギリジョーさんの個性を認めての抜擢だったようです。
クウガの撮影では当初後悔もあったようですが、プロデューサーの髙寺氏をはじめスタッフからの「これまでとは違うライダーを」という想いに応えるように、気持ちを切り替えていったと明かしています。
若手俳優の登竜門とも言われる戦隊ものへの出演は、「オダギリジョー」の名が世に知られるようになったきっかけになりました。
それまでのライダーがやっていた変身方法などを変え、内容が大人向けと話題になったこともあり、子どもだけでなく大人世代の人気も上昇。
またオダギリジョーさんの演技力にも注目され、ライダーになったときのアフレコが良かったという声も多く聞かれました。
実際に、リアルなアフレコになるように動きながらアフレコをしていたそう。
息遣いや感情移入など、できるだけ同じ状況でやりたかったと語っています。
オダギリジョーさんの演技力があったからこそ、仮面ライダークウガが「伝説」といわれているのでしょう。
ドラマ「時効警察」シリーズで個性を発揮
2006年に放送された脱力系ミステリードラマ「時効警察」で主演。
マイペースな主人公のオダギリジョーさんと、ヒロインの麻生久美子さんとの掛け合いや、設定が「いちいちおもしろい」と話題に。
それまでにない独特の笑いを持った作品といえるでしょう。
監督の三木聡さんがつくる世界観を大切に、三木さんが監督の回はアドリブなどもなく脚本通りに演じたとのこと。
他の監督回のときは三木さんがつくった「時効警察」に近づくように提案しながら進めていったと明かしています。
金曜ナイトドラマ枠での放送で、2006年1月クールは平均視聴率10.1%、2007年4月クールでは平均視聴率12.0%と大ヒットドラマになりました。
2019年には12年ぶりに「帰ってきた時効警察」を放送するなど、ファンの多い作品です。
なおオダギリジョーさんは2007年に放送された「帰ってきた時効警察」第8話で、脚本、監督を担当しています。
長編映画初監督で話題に
2000年に出演した仮面ライダークウガ以降も、国内外問わず主演や助演でさまざまな作品に出演し個性派俳優として存在感を示していました。
もともと映画制作に憧れてアメリカ留学したオダギリジョーさんは、2019年に長編映画「ある船頭の話」で初監督。
脚本は公開の10年前に書いていたというオリジナルストーリーで、ひとりの船頭を通じて人間の根源を描いたものです。
2018年に出演した映画の監督の一人、ドイル氏との出会いが初監督のきっかけだったそう。
オダギリジョーさんが監督をするなら協力するとの話から進んでいったそうです。
俳優として海外作品に出演し培った人脈から、国際派のスタッフが集結してできた「ある船頭の話」。
映画を観た人からは、「映像や音楽が素晴らしかった」、「考えさせられる内容だった」という声が多く、オダギリジョーさんの想いが反映された作品といえるでしょう。
現在の所属事務所を解説
個性的な実力派俳優が揃う芸能事務所
- 事務所名:鈍牛倶楽部
- 設立年:昭和63年
- 代表者:國實瑞惠
- 主な所属タレント:光石 研、尾上 寛之、小林 稔侍、坂東 龍汰、河合 優実、オダギリジョー
映画制作なども行う事務所
かつては緒形拳さんや田中哲司さん、安藤サクラさんなども所属していた鈍牛倶楽部。
現在はオダギリジョーさんや光石 研さん、最近では坂東 龍汰さんや河合 優実さんなど、個性的で実力派の俳優が揃っている事務所です。
代表取締役の國實瑞惠さんは映画プロデュースを手掛け、映画監督の入江悠さんや二ノ宮隆太郎さん、演出家の岩松了さんなども所属し、若手俳優も積極的に出演の機会を得ています。
関連会社には俳優養成所も
鈍牛倶楽部のホームページでは、俳優志望の方は「ディーダッシュ俳優養成所」へ問い合わせの案内をしています。
ディーダッシュ俳優養成所は演技やアクションのレッスンを通して俳優としての基礎が学べるスクール。
オーディションに合格して入学することができると、まずは5ヶ月間俳優としての基礎を学び、面談後に希望者はさらに5ヶ月間、実践的なレッスンを受けます。
約1年のカリキュラム終了後に所属オーディションを行い、合格者は鈍牛倶楽部またはディーダッシュ・カンパニーへ所属することができます。
オダギリジョーさんの芸能活動を分析!
SNS戦略とファン接点作り
- 主なSNSプラットフォーム:なし
- フォロワー数:なし
- 頻度:なし
個人でのSNSの発信はしていない
オダギリジョーさんはInstagramやXなど、SNSでの発信はしていません。
同じ事務所でも発信している人はいますので、事務所の方針というよりもオダギリジョーさん個人の判断でやっていないのでしょう。
出演作品のSNSには番宣のためのオフショットなどが出ることがありますが、個人的な発信はしていないようです。
インタビューでは、20代など若いときなら表現の場としてSNSをやっていたのかもしれないけれど、40代の自分には必要ないと考えているそう。
性格的にも積極的にやるタイプでもないし、外にメッセージを発信したくない気持ちもあると語っています。
プライベートを見せることもほとんどないので「実像をつかみにくい人」と思われがちですが、そこは見る人に都合よく解釈してもらえば良いと思っていると明かしています。
メディア露出とポジショニング
- 主な露出メディア:映画、ドラマ、CM
- ポジショニング:ミステリアスな個性派俳優、映画監督としても高く評価され多くの賞を受賞、プライベートは非公開
オダギリジョーさんは多くの映画やテレビドラマで活躍しています。
オダギリジョーさん自身が作家性や芸術性の強い作品にこだわりを持っているので、そういった作品への出演が多く、独特な雰囲気を持つ演技派俳優として高い評価を受けています。
また、自身で脚本や監督をすることもあり、制作側としての活動も見られます。
ポジショニングとしては、個性的な演技派俳優としての位置づけがあります。数々の映画賞やドラマ賞での受賞が裏付けとなり評価されています。
また映画監督としても「ある船頭の話」で作品賞を受賞するなど、俳優としても監督としても高い評価を得ています。
一方でプライベートの露出はほとんどなくSNSもしていないので、掴みどころのないミステリアスな雰囲気。
このようなポジショニングによって、独特な雰囲気をもつ演技派俳優というイメージを強く持たれています。
プライベートとリフレッシュ術
- 休日の過ごし方:映画を観るなど気ままに過ごす
- リフレッシュ方法:不明
映画好きは小さい頃から変わらず
休日は映画を観るなど気ままに過ごすことが多いと語っています。
できるだけ劇場に足を運んで作品を観たいそう。
映画監督としても活躍しているオダギリジョーさんは、「監督の意図するところは劇場でないと全てを受け止めることができない、映像や音楽など映画館だからこそ感じられることがある」と語っています。
小さい頃から映画に親しみ、映画制作の勉強をするためにアメリカ留学をしたオダギリジョーさんですので、映画に関わることは日常なのかもしれません。
お酒はひとりで飲むか、監督やスタッフの方と
数々の作品に出演しているオダギリジョーさんですが、意外にも俳優の友達は多くないそう。
共演者の方と仲良くなれるタイプではないと明かしていて、お酒を飲むときにはひとりで飲むか、映画監督やスタッフの方などと飲むことの方が多いそうです。
そんななかでも以前、俳優で共演歴のある松重豊さんとは飲み友達と公表していました。
その後もオダギリジョーさんが脚本、演出、編集した作品に出演したり、逆に松重豊さんが監督、主演作品にオダギリジョーさんが出演したりと、信頼関係を築きながら現在も関係が続いているようです。
次なる展望は?
- 目標:これからも自分の信じる道を行く
やりたいことだけをやっていきたい
以前からやりたい仕事だけを選んでいるというオダギリジョーさん。国内海外関係なく、やりたいものだけをやっているのだそう。仕事をするこということは時間も体力も捧げることになるので、厳選していると明かしています。
今後、俳優としてやってみたい役があったら、自分で企画して脚本を書いてその役を作るのが現実的だと考えているそう。
そしてエンタテインメント性のある誰もが良いと評価するものではなく、誰も作ろうとしなかったもの、何かしら挑戦する必要のあるものをつくるのが、オダギリジョーさんにとっての「ものづくり」だと語っています。
参考にしたい!成功レシピと具体的なステップ
自分の考えを大切にする
- 身につけるべきスキル:ブレない軸を持つ
- 重要な人脈の作り方:信頼する人とのつながりを大切にする
- メディア戦略:オダギリジョーという人物を都合よく解釈してもらって良い
- プライベートと仕事のバランスの取り方:仕事以外のことも大切にしたい
役者としての志は昔も今もブレていない
アメリカ留学と養成所時代で役者としても方向性を見つけたと語るオダギリジョーさん。
さまざまな人に会って影響されたこともあるけれど、昔も今も芯はブレていないそうです。
そのブレない生き方は、若いときには周囲との摩擦の原因になったことも。脚本に意見したり書き直ししたりと、振り返ると生意気だったと思うそうです。
周りからは「扱いにくい俳優」と言われているのもわかっていたそう。40歳を過ぎたころから言われなくなったそうですが、やっていることは同じだったとのこと。志は若い頃から変わっていないそうです。
そのブレない志が、現在のオダギリジョーさんを作り上げているのでしょう。
信頼する人とはとことん関わる
若い頃から脚本に意見してきたというオダギリジョーさんですが、出演映画「舟を編む」「アジアの天使」「月」などの監督、石井裕也さんの脚本に関しては直したり意見したことがないのだそう。
インタビューでは石井監督の、感性の鋭さ、真摯に物事を突き詰めて深めていく強さや、うわべだけでない現実に通じる本質を表現しているところに作家性を感じると語っていています。
これまで5作品でタッグを組んでいるのは、お互いの信頼関係があってこそでしょう。
他にも俳優の松重豊さん、映画制作会社のスタイルジャムとの関係など信頼する人たちと、とことん関わることでオダギリジョーさん自身が納得できる仕事ができているのではないでしょうか。
世間のイメージにはこだわらない
SNSはやらず、プライベートを見せることは少ないオダギリジョーさん。
面倒だということや、世間の反応に振り回されたくないという想いがあるそうです。
そのため「掴みにくい人」と思われているという自覚はあるようですが、見ている人に都合よく解釈してもらって良いのだそう。
自分はこういう人間だということはあえて語らず、仕事を通じて表現していることを見て、自由にイメージしてほしいと語っています。
仕事以外のことも大切に
仕事に関してはこれからも作家性や芸術性の強い作品をつくったり出演したりしたいと語っていますが、一方で仕事以外の時間も大切にしたいと明かしています。
人生は仕事が全てではなく、大切なことは仕事以外にもたくさんあると思うと語るオダギリジョーさん。
美味しいものを食べる、外を歩くなど、なにげない日常のなかで五感を刺激したいとのこと。
そういったことで人生を豊かにして、今後は人間としてどう生きていくかを大切にしたいと語っています。