唯一無二のエンターティナー、大泉洋さんの魅力とは?
- 大泉洋さんのデビューのきっかけは?
- 大泉洋さんがどのようなキャリアを積んできたのか気になる
- 大泉洋さんの事務所はどこ?SNSはやってる?
芸能界は魅力的で多くの人が憧れる世界ですが、その裏側やタレントのプロフィール、キャリアパス、ストーリーなどは意外と知られていないものです。
そこで、この記事では大泉洋さんの
- プロフィール詳細
- キャリアの歩み
- 現在の所属事務所とその特色
- SNS戦略
- 私生活やリフレッシュ方法
などを幅広く解説しています。
この情報をもとに行動することで、あなたも自分自身の目標やキャリアに役立てることができるでしょう。
読み終わった後で、次のステップが明確に見えてくるかもしれません。
ぜひ最後までお読みいただき、参考にしてください。
大泉洋さんのプロフィール
おもしろ洋ちゃん
- 名前:大泉 洋
- 出身地:北海道江別市
- 生年月日:1973年4月3日
- 職業:俳優、タレント
- 事務所:CREATIVE OFFICE CUE
- 趣味・特技:ゴルフ
- 主な出演作:ドラマ「救命病棟24時」「ハケンの品格」「赤鼻のセンセイ」、NHK大河ドラマ「龍馬伝」「鎌倉殿の13人」「ノーサイド・ゲーム」「ラストマン-全盲の捜査官-」、映画「アフタースクール」「探偵はBARにいる」「駆込み女と駆出し男」「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」「月の満ち欠け」「室町無頼」
人を笑わせたい
子どもの頃から人を笑わせることだけを考えていたという大泉洋さん。
小学校時代には親が車で聞いていた落語にはまり、まるまる覚えるほど聞いていたそうです。
普通なら話を聞いておもしろいと思うだけのところを、大泉洋さんは話の組み立て、オチまでの間の取り方など体に染み付くくらいに聞いていたとのこと。
他にも、友達の家で10人くらい集まって順番にマリオのゲームをしたときには、大泉洋さんがいる「トーク部屋」があったのだそう。
ゲームで負けて順番待ちの間はトーク部屋に行って大泉洋さんとトークしてゲラゲラ笑って、という流れだったそうです。
また中学に上がったときには、他の小学校の子から「大泉洋は南小で一番おもしろいヤツ」として、認識されていたのだとか。
「おもしろ洋ちゃん」という、おもしろい人として生きてきたと明かしています。
悪いことがあるとちょっとワクワクする
大学受験で2浪して希望の大学には入れなかったときには、とても落ち込んだと明かしていますが、今となってはその出来事がなかったら、TEAM NACSと出会えていなかったし、テレビにも出ていなかったと思うと話しています。
受験に失敗したという最低な出来事も、自分にとっては最高の出来事になったと。
悪いことがあっても、良いことの予兆だと思えるようになって、ワクワクするのだそうです。
大泉洋さんのデビューまでのステップ
演劇研究会への入部が人生を変えた
- 芸能界に興味を持ったきっかけ:大学の演劇研究会に入部
- 最初のオーディションまたはスカウト:不明
- 練習生または養成所の期間:不明
- 初の仕事(CM, ドラマ, 映画など):エリアコードドラマ「TV局物語 今にみてろ」エキストラ
- デビュー作(シングル, アルバム, 映画など):北海道テレビの深夜番組「モザイクな夜V3」二代目「元気くん」
大学で演劇研究会に入る
大泉洋さんは2浪して1994年に本意ではなかった大学に入学し、母親も心配するほど落ち込んでいたのだそう。
「このままではまずい」と奮起して、演劇研究会に入部。
それまで人を笑わせるのが好きで友達や身内を笑わせてきたけれど、自分のことを知らない人も笑わせられるかということに興味をもったのだそう。
落研がなかったこともあり、またウケ狙いもあって演劇研究会に入ったと語っています。
当時は芸能人になりたいという想いはなかったようですが、演劇研究会に入ったことでいろいろなことが繋がったとのこと。
大学在学中にエリアコードドラマ「TV局物語 今にみてろ」のエキストラをはじめ、北海道テレビの深夜番組「モザイクな夜V3」への出演など、芸能活動を行っていたそうです。
深夜番組への出演は、番組制作にかかわっていた事務所「オフィスキュー」の社長が主宰する劇団のメンバーが、大泉洋さんの大学の演劇定期公演を見たのがきっかけだったそう。
大泉洋さんを見て「なんか変だけど、好き」という印象だったそうで、それを聞いて抜擢したそうです。
芸能活動も行っていた大泉洋さんは北海道で知名度も高く、卒業公演では学生演劇では考えられない人数(1000人くらい)を動員していました。
最終日には溢れて入れない人のために、1度観た人には帰ってもらうようにアナウンスしたというエピソードも。
学生時代の人気の高さが伺えます。
「TEAM NACS」の一員に
大学で入った演劇研究会には後の「TEAM NACS」メンバーである、森崎博之さん、安田顕さん、佐藤重幸さん(現:戸次重幸さん)、音尾琢真さんが所属していました。
大学を卒業する森崎さんと安田さんの卒業制作として公演を行うため、1回限りのユニットとして「TEAM NACS」を結成。
一度は解散しましたが、1997年8月に再結成しました。
演劇研究会に入ったばかりの頃の大泉洋さんは「笑わない、喋らない」そうで、周りは皆、つまらないなら辞めたらいいのにと思っていたそうです。
そんな中、皆と馴染めるようになったきっかけは「モノマネ」だったそう。
「ルパン三世 カリオストロの城」のラストシーンのモノマネをしたところ、「面白い人」と認識されるようになったと明かしています。
大泉洋さんが注目を集めたきっかけは?
いつのまにか北海道で有名に
大学に通いながら出演していた「モザイクな夜V3」が1996年に終了し、その後「水曜どうでしょう」として番組がスタートしました。
大泉洋さんは引き続き出演することに。
当初半年間のつなぎ番組でしたが番組スタイルが好評で、深夜番組にもかかわらず1999年には視聴率18.6%を叩き出すほどの人気番組に。
別のテレビ局やラジオ番組でも活躍するようになり、いつのまにか北海道では有名人となりました。
多い時はテレビとラジオのレギュラーを7~8本やっていたそうです。
大学在学中に行っていた芸能活動でしたが、「仕事」と思っていなかったそう。
「これからどう生きていくか」という想いのなか、就職活動も考えたそうですが、名前も知られてしまったことだし、今さら履歴書を持って活動するのは恥ずかしいという気持ちもあったそうです。
仕事が順調だったこともあり、26歳くらいのときに、「この業界で食べていこう」と決心したと明かしています。
バラエティ番組「パパパパパフィー」で全国進出
「水曜どうでしょう」への出演で北海道での知名度が高かった大泉洋さんは、1997年から放送された歌手のPUFFYが司会をつとめるバラエティ番組「パパパパパフィー」に、度々出演していました。
北海道から全国へ知名度をあげるきっかけにはなりましたが、結構な確率でスベっていて、売れなかったしブレイクもしなかったと明かしています。
それでも「北海道の大泉洋」として爪痕を残したと言えるでしょう。
全国ネット連続ドラマ初出演「救命病棟24時」
大泉洋さんが所属するCREATIVE OFFICE CUEは、「TEAM NACS」を俳優として認めてもらえるよう東京進出のために、2004年に大手芸能事務所アミューズと業務提携を果たします。
2005年には大泉洋さんがドラマ「救命病棟24時 第3シリーズ」に看護師役で出演し、話題に。
その頃はまだそこまで知名度も高くなかったのにもかかわらず、江口洋介さん、松嶋菜々子さんなど名だたる俳優たちとの共演でもしっかりと存在感を放っていました。
大泉洋さん演じる佐倉亮太は、冗談好きのお調子者、だけど相手に対して真摯に向き合うやさしさを持つ男性看護士。
おもしろい演技もシリアスな演技もこなす俳優として注目されはじめました。
ドラマの経験はほとんどありませんでしたが演技の評価が高かったのは、大学時代の演劇が活かせていたからでしょう。
シリーズ最終回の翌週には「看護師たちの救命救急センター」として、大泉洋さんと、同じく看護師役だったMEGUMIさんの、2人を中心としたアナザーストーリーが放送されるほど注目され、知名度も全国区に広がりました。
「救命病棟24時」後も、ドラマ「ハケンの品格」やNHK大河ドラマ「龍馬伝」など人気作品に出演するなど、着実に俳優としての地位を確立していきました。
現在の所属事務所を解説
北海道に根ざした芸能事務所
- 事務所名:クリエイティブオフィスキュー
- 設立年:1997年4月
- 代表者:伊藤 亜由美
- 主な所属タレント:「TEAM NACS」(安田 顕、森崎 博之、戸次 重幸、音尾 琢真)
「TEAM NACS」が所属する事務所
クリエイティブオフィスキューは北海道に拠点を置いていますが、大泉洋さん、安田顕さん、戸次 重幸さんなど、全国区で活躍している「TEAM NACS」が所属する芸能事務所です。
「TEAM NACS」はもともと北海道で活動していましたが、大泉洋さんをはじめとするメンバーが少しずつ全国区で出演していた際に「TEAM NACSを俳優として認めてもらえるように育てなければ」という想いから、2004年にアミューズと業務提携というかたちで東京進出を果たしています。
北海道の魅力を発信
「TEAM NACS」が東京進出するにあたり、代表の伊藤亜由美さんが東京で自炊したときに北海道の良さを感じたのだそう。
空気や食べ物の美味しさなどの北海道ならではの魅力に気付き、帰りの飛行機で企画書を書いたのだそう。
そこから始まった企画番組が現在でも続いています。
他にも、札幌市および北海道新聞社と連携協定を締結して、映像を活用した札幌の食と文化の魅力を発信しています。
大泉洋さんの芸能活動を分析!
SNS戦略とファン接点作り
- 主なSNSプラットフォーム:個人のSNSは無し
- フォロワー数:なし
- 頻度:なし
個人のSNSは、やっていない
大泉洋さんは個人でのSNSは、やっていないようです。
事務所のクリエイティブオフィスキューでTwitterは運用していて各アーティストの作品や番組の案内は投稿されていますが、大泉洋さん自らが発信しているものは見当たりません。
Instagramについては以前、他人の投稿を見るために登録をしたら中学時代の友達からすぐに連絡が来て驚き、アカウントを削除したというエピソードも。
個人での発信はありませんが、作品や番組のSNSには多く出ていますので、「大泉洋」で検索すれば、さまざまな大泉洋さんを見ることができます。
事務所のHPでは日記が掲載、ファンクラブも
所属事務所のクリエイティブオフィスキューでは「CUE DIARY」として、所属アーティストの日記が掲載されています。
大泉洋さんもイベントがあるときなど、積極的に発信しているように見受けられます。
貴重な本人からの発信でしょう。
また事務所の有料ファンクラブ会員限定で「チケット先行発売」「グッズ購入」「イベント参加」などの特典があります。
大泉洋さんに関するものも多くありますので、会員になっても損はないでしょう。
メディア露出とポジショニング
- 主な露出メディア:テレビドラマ、映画、バラエティ番組
- ポジショニング:俳優、タレント、歌手などどれも完璧にこなす唯一無二のエンターティナー
大泉洋さんは、多くのテレビドラマや映画、バラエティ番組などで活躍しています。
人間ドラマに多く出演し、バラエティ色を感じさせない演技力で高い評価を受けています。
役者以外では司会やナレーター、番組でのトークも、人を惹きつける話力で多くの露出が見られます。
ポジショニングとしては、俳優、タレント、歌手、ナレーター、声優、司会など、どのジャンルもプロフェッショナルな仕事ぶりで、マルチタレントとしての位置付けがあります。
これは俳優としては数々の映画賞やテレビ賞を受賞、タレントとしてはバラエティ番組へのレギュラー出演やNHK紅白歌合戦での司会などによって、確証されています。
プライベートは隠してはいませんが、個人のSNSはやっていないようです。
バラエティ番組へのゲスト出演などのフリートークの場では仲間や家族の話をすることがたびたび見られます。
大泉洋さんは「役者としては私生活やバラエティ色を見せない方がいいけれど、“笑い”をやめる選択はないから、視聴者には“役者 大泉洋”として切り替えて見てもらえるようにしたい」と考えているようです。
このようなポジショニングによって、唯一無二のエンターティナーというイメージを強く持たれています。
プライベートとリフレッシュ術
- 休日の過ごし方:体のメンテナンス
- リフレッシュ方法:身体を動かす
休日はメンテナンスのために病院へ
普段から健康管理を大切にしているという大泉洋さんは、休日は体のメンテナンスのために病院に行くことが多いそうです。
肩が痛いのを治すため、喉の管理のためなどなど、どこの病院に行こうかと考えていると明かしています。
ゴルフなど身体を動かしてリフレッシュ
健康管理のための体力維持には、ランニングをしたり趣味のゴルフをしたりしているそうです。
おしゃべりが好きな大泉洋さんですので、仲間と話しながら体を動かすことがリフレッシュになるのだそう。
ゴルフは長い距離を歩くし、ボールが思い通りに飛んだときの感触は、もやもやした気分を吹き飛ばしてくれると話しています。
次なる展望は?
- 目標:歌手活動もしていきたい
歌の仕事もしていきたい
突きつめると特にやりたいことがないという大泉洋さんですが、歌の仕事はこれからもしていきたいと語っています。
2023年に50歳を記念した「大泉リサイタル」が楽しかったのだそう。
歌は自分にとって転機になるかもしれないとのことです。
これまでの人生の転機は、1つ目が大学で演劇研究会に入ったこと、2つ目は東京進出でしたが、そこに続く3つ目かもしれないとのこと。
今まで人の目を気にして変えられないことばかりだったけれど、50歳を過ぎて何を言われても「やりたいから」と思えるようになったそう。
恥ずかしさから、まわりの目を気にしてやめるのはもったいないと考えるようになったと語っています。
人の期待に応えたい
自分でやりたいことを考えてもあまりないと語っていますが、「期待に応える」というのが生きがいなのだそう。
自分が喜びを感じることは?と考えると、自分がしたことに対する人からの“賛辞”で、笑ってくれること、褒められることなのだそうです。
小さい頃から変わらず「人を楽しませたい」というエンターティナーの精神が原点に
なって、人の期待に応えることが自分の生きがいだと語っています。
参考にしたい!成功レシピと具体的なステップ
努力を努力と思わないくらい好きなことを仕事に
- 身につけるべきスキル:エンターティナーの精神
- 重要な人脈の作り方:北海道の縁を大切にしている
- メディア戦略:パブリックイメージを覆す役者に
- プライベートと仕事のバランスの取り方:家族との時間も大切に
人を楽しませたいという気持ちが成功の秘訣
大泉洋さんは幼少期から人を笑わせるのが好きだったそうです。
テレビを見たり、車の中で落語を聞いたりしているうちに、笑わせるための技が自然と身についていたのだそう。
大人が笑ってくれるのが嬉しかったと語っています。
そんな気持ちは今までも変わらず、楽しんで笑ってもらうためにはどんな手段でもいいそうです。
バラエティでも、俳優でも。そのためにやれることはやるというスタンスなので、他の人が努力だと思うことも、好きだから努力だと思わずにここまできたとのこと。
そういうことをインタビューなどで答えていたら、娘さんから「努力しないでここまできたパパみたいになりたい」と言われてしまったという笑えるエピソードも。
それでも大変なことはあったけれど、やっぱり努力をしないで自分にとって楽しいことをしてきたと語っています。
人を楽しませたいという純粋な想いが、大泉洋さんの成功の秘訣でしょう。
深い縁を大切に
両親や身内、家族、TEAM NACSの仲間など、長くて深い縁を大切にしているという大泉洋さん。
仕事においては「北海道で有名」から「全国区」になってからも北海道の仕事も続けています。
基本的に人見知りなので、出会って仲良くなった人たちと別れたくない、北海道で一緒にやってきた人たちとずっと一緒にいたいのだそう。
大学で入部した演劇研究会で出会ったTEAM NACSの仲間とは30年弱やってきているので、心強さがあるとのこと。
仲間がいるから自信を持って舞台に立てると語っています。
また、北海道で大泉洋さんをテレビ出演に抜擢した、同じ事務所の鈴井貴之さんも大切にしている人の一人。
鈴井さんから、東京進出の際に安心して前に進めるようにともらった言葉は、今も心にあると明かしています。
そうした北海道の縁が、今の大泉洋さんを作っていると言って過言ではないでしょう。
俳優業ではバラエティ色を覆したい
役者をしているときの大泉洋さんは、まったくバラエティ色を感じさせていません。
自身でも「役者はパブリックイメージをつけない方がいい」といいと話しています。
ただそうするとバラエティをしなければよいということなのだけど、それは自分が望むことではないのだそう。
だからこそ、人を笑わせることをしながらも、役者として見られるときは切り替えてもらえるようになりたいと語っています。
家族との時間も大切に過ごしたい
大泉洋さんにとって、結婚して娘さんが生まれたことが、人生をとんでもなく変えてくれたと明かしています。
家族で過ごす日々がこんなに楽しくて幸せだとは思わなかったそう。
とくに娘さんがしっかり生きていけるようにすることが自分の仕事なんだと、それだけで十分なのだそうです。
忙しい日々のなかで、これからも仕事とプライベートのバランスをとりながら、家族との時間も大切にしていきたいと語っています。